鳥取へ
2006.10.11
日本建築学会長をしていた祖父・吉田享二は、鳥取県の出身です。
この祖父の、79歳になる甥(弟の子)が、現在も倉吉に住んでいます。
息子と娘と共に、8・9日と、この叔父夫婦を訪ねる旅をしてきました。
代々、大庄屋だった家です。
古くて、とても大きな家です。
この茅葺きの住まいは、なんと400年も前に建てられたものです。
普通に思い浮かべる田舎の家ではありません。
京都の大工さんを、わざわざ連れてきて、建てた家らしいのです。
ですから、とても品のいい建物です。
話には聞いていましたが、あまりにもりっぱな家で、驚きました。
古民家と言えば、天井が低く、薄暗いイメージがありますが、ここは、全然違うのです。
天井がとても高い。
ですから、圧迫感がありません。
それに伴い、開口部も大きいので、光が、風が沢山入ってきます。
家の細部もそうです。
明かり・欄間など、センスのいい細工がなされています。
現在すでに庭は、重要文化財に指定されていますが、一般公開はしていません。
けれども、日本の名園の本、中国地方には、必ず載っている庭です。
長い間、ずっと個人で守り続けてきた家です。
ですが、叔父も叔母も年をとり、体が中々思うようにいかなくなったようです。
次世代の息子2人は、仕事の関係で関東に出ています。
そんな訳で、そろそろ県と国の世話になろうか、という話になりました。
文化庁・県・鳥取環境大学など。
ただ今調査が入っている最中です。
おそらく来年中には、すでに指定されている庭だけでなく、建物・山を含む敷地全てが、重文指定になることでしょう。
17町歩。
すごい広さです。
目で見える範囲は、全て敷地なのですから。
この家の為だけの、お寺も敷地内にあります。
全てが、想像の域を超えています。
重文指定されれば、個人の持ち物としては、日本最高の大きさです。
ここは、祖父の弟が養子に行った先ですので、本家ではないのです。
それでも兄弟は皆、ここが好きで、よく訪ねていたようです。
最近は、我が家では、息子が度々訪れ、泊まっていました。
中々チャンスが無く、私は今回初めて行くことが出来ました。
行ってよかったな、と思っています。
叔父叔母から、沢山の話を聞くことが出来ました。
頭ではわかっていたつもりの、家の歴史・繋がりなど、色々なことがわかりました。
この家には、現在3匹の山陰柴犬がいます。
叔父は長年、「日本犬を守る会」の理事をしていました。
これは、一番若い「ふくはな」です。
ご覧になった方もいらっしゃるかと思いますが、写真家、岩合さんの犬の写真集に載っているのは、ここの家の山陰柴犬です。
本来の日本犬はそうなのでしょうね。
気品があり、賢く、誇り高い犬です。
飼い主には、忠犬ですが、他人には、けっして媚びることは、ないのです。
安心すれば、自分から近寄ってはくるのです。
息子は、初めて時は、一定の距離を保っての様子見をされたようです。
そして2回目の訪問で、ようやく手を舐めてもらえたのです。
主人の従兄弟は、犬が得意で、どんな犬にでも好かれるらしいのですが、全然ダメと。
寄っても来ない、と言うのです。
それが何なのか、メスなのですが、娘とは、意外に早く仲良しになりました。
それでも、こちらが呼んだから来る、などということはありません。
可愛い犬です。
東京生まれ、東京育ち。
私には田舎がありません。
子供達は、こんな所がホッとするのでしょうね。
楽しい一時を過ごすことが出来ました。
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突然のメール失礼致します。鳥取環境大学の浅川と申します。一昨年より尾崎家住宅の調査をしておりまして、いま報告書のまとめに入っております。それで、吉田享二博士の生年・略歴等をネットで検索し続けているのですが、よく分かからない点が多々ありまして・・・。たとえば、出身地は兵庫県湯村温泉町とも聞いておりましたが、鳥取でよろしいのでしょうか。まことに恐縮ですが、小生のメール・アドレスのほうに基礎的な情報をお知らせいただけませんでしょうか。なにとぞよろしくお願い申し上げます。
昨年書いた物でしたので、びっくりいたしました。
祖父について書かれた物は、結構沢山あるかと、思うのですが...、そうですか...。
さっそくお返事ありがとうございます。わたくしどもの研究室のブログ(http://asalab.blog11.fc2.com/)で、吉田博士のこと(5月4日)とこの「さろん木々」(5月5日)について取り上げさせていただきました。もし可能でしたら、ご一読いただき、誤り等をご指摘いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
浅川さん
メールいたします。
このたびは研究室のブログにコメントいただきまして、まことにありがとうございます。さっそく原稿を修正いたしました。それで、・・・ほんとうに厚かましくて申し訳ありませんが、吉田博士が宮脇家から吉田家の養子となられた年月についてもご教示いただけませんでしょうか? これについても調べてみたんですが、確認できまでした。不勉強で申し訳ありません。よろしくお願い申し上げます。
浅川さん
吉田家は子供が、祖母・千代子(戸籍上では千代)一人でした。
そこで、婿を取ることになったのでしょう。
縁あって宮脇家から、祖父と婚姻となりました。
大正3年3月5日。
婚姻・そして養子縁組をしております。
またしても迅速なお返事、まことにありがとうございます。
さっそく原稿に加筆致します。
今後ともよろしくお願い申し上げます。 浅川
浅川さん
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
わたくしどものブログで、吉田博士の設計図(尾崎家改修)のとりあげましたので、お知らせしておきます。
淺川さん
拝見させていただきます。